古代ギリシアの民主制

これから古代ギリシアの民主主義の話をする。

古代ギリシアは今日私たちが考えるような概念の国家ではなく数百の独立した国家から出来ていたことは皆様もよく知っておられるだろう。いわゆるポリス(都市)によって出来ていたのだ。
これらの国の中で一番有名な都市国家はなんであろうか。
それは、アテナイだ。
アテナイの人々は紀元前507年民衆中心の政治体系をとりいれたことが分かっている。それ以後マケドニアによって征服されるまで存続した。
デモクラシー」という言葉は「デモクラティア」につながる。この言葉はおそらくアテナイの人々によって作らたのではないかと推測されている。

なぜなら民衆という言葉はギリシア語でデモスといい、支配することは同じくクラトスというからだ。これらを組みあわせて民衆による支配という意味でこの言葉を作りだしたと考えられる。

また、アテナイの民主主義は世界に存続した民主主義の中で、最も純粋な民主主義であると言われている。

続いて具体的なアテナイの民主制の仕組みについて説明する。
非常に複雑であったが簡単にまとめると3つの政治組織がおかれた。1つ目は民会、2つ目は評議会、最後に行政官である。

民会では、男性市民の全員に参加資格が与えられ月に数回(年40回)の頻度で開かれた。この会では重要な官職を選出した。それらは選挙によって選ばれた。それ以外の公的な責務を担当する市民は抽選で選ばれた。だれでも権利があるものは選ばれる可能性があった訳である。

評議会は、日々の政治を・行政を行う行政府(抽選によって選び、1年任期)のことである。

行政官は、民会によって1年おきに再選された。もしポリスの不利益になるようなことをするようであれば行政官は人民投票により追放されることもあった。

前5世紀から4世紀ギリシアのことを民主主義の「古新時代」と呼ぶ。現在ギリシア人がこのような代表制度を持っていたことはほとんど知られていない。ただ、それもいたしかたないことだ。ギリシア人たちはデモクラシーの理念や実践の上に何の影響も残さなかったし、後世のような形態の代表性デモクラシーに自分たちの特色らしいものを植えつけることもなかったからだ。
アテナイのくじで公的な職務に携わる人を選ぶ方式はこの後受け入れられことはなく世界は進んでいくのである。
参考図書 デモクラシーとは何か

必見の書です。