古本屋へのあくなき愛

私はよく古本屋に行く。古本屋には普通の本屋例えばアマゾンや、ツタヤ、紀伊国屋などとは違った良さがあるからだ。
まず、並んでいる本の種類が普通の本屋と異なる。普通の本屋では並んでいる本が多いか少ないかはあるが大体人気のある本だけを置いてある。だが、古本屋では何百年ほどの幅のある時代の本たちが並んでいる。だから、どの店に行っても他の店とは違った本が並んでいるのだ。そしてひとつひとつ古本屋は特徴を持っている。

ある店は、昔の漫画の貯蔵が多く、またある店は登山関係が、またある店は古代の地図に詳しかったりする。必要なものが欲しい場合は事前に電話をかけてあるか聞くか、目録を見る必要がある。
画一的でない古本屋たちには得意分野を持っていることで、今も競争に勝っているのだ。

その古本屋にも多くの問題があるように思える。一つは後継者不足である。近くの古本屋に行ってみればわかるがほとんどの場合店の店主は60、70のご老体である。彼らは自分の一部でもある店の隅から隅までを知っているが、いつかは死ぬ時が来る。彼らが死んだ後、その古本屋の所有者となる子供はおそらくその本たちを他の古本屋に売るか、捨てるかの選択しかせず、その店はなくなってしまうだろう。
そうやって多くの古本屋が今もなくなっていると思われる。これは大きな問題である。打開策としては後継者となるべきひとを育てることだがこれは難しい。なぜなら、賃金の問題である。

ひとを雇うにはお金がかかる。けれど多くの古本屋はひとを雇うほどもうかってはいない。それでも店が回るのはご老体の隠居がやっているからである。だから、必然的に店は消えていく運命にあるのだ。

二つめとして、店の構造的な問題である。古本屋には多くの本があるがその本たちは乱雑に陳列されている事が多い。ある程度の分類分けはされているが、どこに欲しい本があるかどうかを見つけるのは初見では難しい。そうかと言っても、店主でも知らない本が中にはあるのだからくせがわるい。

目録を作って、デジタル化をしてくれれば個人的にはありがたいのだが。

古本屋について書いてきたが、わかる通り私は古本屋が好きだ。図書館ではまかなえない部分を補完する役割をもつからである。
あの独特の雰囲気も好きだ。本の匂い、古ぼけた店内、どれもがみんあな価値を持ってそこに存在している。楽しい空間だ。
いつか、古本屋を始めたいものだ。