「我はいかにして電子書籍の抵抗勢力となりしか」への反論 電子書籍のもたらす未来とは何か?

この記事ではマガジン航の記事『我はいかにして電子書籍の抵抗勢力となりしか』
について触れたい。執筆者は中西秀彦氏である。
この記事の中で筆者は活版印刷がなくなった時点で紙の本というものが電子書籍にとって変わられることを予期していたと書いてある。

私は十分このことは予期できたと思うが、それは出版者、印刷会社など紙の本から離れた立場にいる自分であったからできたことであって業界にいながらこれを見通していた筆者の見識は素晴らしいと思う。

反論したいのはこの後だ。
この記事の3番目の段落で『「出版」のフィルタリング効果が失われる懸念』というものがある。この段落の内容について私は大きく間違っていると思う。

この段落の全てを引用させてもらう。 

そしてもうひとつ私は懸念する。やはり出版編集の問題だ。紙の本の場合、いったん印刷されて、書店に並んでしまったら、回収することはまず不可能。また印刷し出版するという決断は大量の紙の仕入れ、印刷や製本の人件費など多額の現金が必要となる。おのずと出版や再版の決断は慎重にならざるをえない。この決断をまちがえたら返本の山で倉庫はふさがれ、印刷代金の請求書だけが残る。だからこそ、出版社は、校正に万全を期し、確実に売れる部数を確実に出版するというきめこまかな編集や営業政策をとってきた。これが結果として書籍の質を高めてきたのだ。

電子書籍時代、出版するのは簡単だし、出版社は返本のリスクにおびえなくてもいい。それでも「いい本を作りたい」という情熱さえあれば、質は低下しないとおっしゃる方はいるだろう。それは、甘い認識という物。いい本も出るかもしれないが、それ以上に悪い本が大量に出回る。現に電子書籍で安易に自費出版を推奨するサイトは雨後のたけのこ状態だ。

紙の本の世界では、出版するのに金がかかった。金のない著者はまず出版社のおめがねにかなう必要があった。そうでなければ自費出版するしかなかったのだが、やはりその費用を負担できるのは限られた層だった。言論がお金をもっている側に独占されることには弊害もあったが、すくなくとも粗雑な本が出回らないフィルタリング効果はあった。ある程度の水準以上の物しか世にはでなかったはずだ。
このフィルタリングが電子書籍にはない。誰でもどんなものでも出版できる。ネット社会の電子掲示板の現状からして極端な政治的偏向をもった電子書籍が人気を集めてしまうことも予測される。ネット右翼も良識ある評論も同列に電子書籍の土俵で並べられた時、本当に市民社会の良識は機能するのだろうか。市民社会の良識など今の掲示板やツイッターを見る限り幻想に思える。ソーシャルメディアがよい物と悪い物を自然選択するというような太平楽はましてや信じられない。


この段落では、出版者は、出版するのには紙の本の場合返本のリスクがあるため確実に売れる部数を万全の校正で出そうとしてきた、そしてそれが書籍の質を高めてきたのだと指摘している。だが電子書籍それらの出版のリスクがないため書籍の質は下がる。また出版者が売れる本だけを見極めるというフィルタリング効果がなくなるため特定の思想がある本が人気を集める可能性があるといい電子書籍を非難している。

この段落いくらなんでも話をこじつけ過ぎだ。この後の段落も意味の分からない負け惜しみが入っているだけで、結局は無駄なあがきになると書き、自ら逃げ道を作っているに過ぎない。
まず言えることとして紙の本に返本なんてくだらんリスクを付けたのはなにを隠そう君たちじゃないか。他の国ではまずありえないシステムを長年やってきたのはどこのどいつだ。おなじような制度がある音楽業界もデータの配布サイトをうけて急速に縮小しているのが現状だ。さっさと返本なんて制度をやめていればまだまだ紙の本がおとろえることはなかっただろう。自業自得だ。

次に、出版者が売れそうな本を選ぶというフィルタリングシステムについて触れよう。
初めにどの本が売れるなど誰も分かりはしない。多くの失敗をへてベストセラーというものは生まれるものだ。出版者が自信満々に選んだ本で売れずに赤字になった例なんてあまたある。出版者が売れないと考え少なめに刷ったものが売れ、慌てて重版をかけたが売り切れになったなどいう話もよく聞く話だ。
だから私は多少質の落ちる本でも電子書籍として積極的に出すべきだと思う。どれが当たるのかわからない以上今より多くの本が出る電子書籍の到来は歓迎すべきものであると思う。もちろんその中には質が悪い本も数々あるだろう。だが電子書籍として出すことによって相対的な出版数が多く出ればいいこともある。
それはいい本も増えるということだ。良い本の比率が今の出版書籍の100%を占めているのが1%になるとしても出る書籍が1000倍になれば良い本の数が増えることになるからだ。

最後にいままで出版者が検閲してきた悪い政治思想を持つ本が増える可能性があることについて言おう。
その懸念は全くの杞憂に終わると思う。なぜなら私たちは常識という名のフィルタリングをもっているからだ。大人になる過程でより良い文学に学び成長してきた私たちにはそれらがおかしいことかおかしくないのか判断できる。
明らかにおかしいことを言っている書籍はそれが電子書籍であっても誰からも相手をされずに人気が出ないだろう。初めはその本に魅了せれてもすぐに気づくはずだ。だから問題はないと考える。
それでも人気が出たものは新たなる思想とでも考えるべきだ。その思想は古きにとらわれない考えなのだろう。

別の見方としてそもそもフィルタリングしようとすることがおかしい。だって言論の自由をだれしももっているのだから。ただし発言は自己責任、それが社会のマナーである。


以上である。なおこれはあくまでも載せられていた考えに対しての批判であり執筆者に対して誹謗中傷するものではない。彼ら出版業界の技量には感嘆することも数多くある。一方疑問に思うこともあり書かせていただいた次第であった。
紙の本は確実に終わる。問題はその後だ。電子書籍に完全に移行した後、さらにもう一段進化するだろうと私は推測している。
脳内に直接知識を埋め込むレーザーだとかSFに出てくるような技術が実用化されると期待して筆を置く。