天才と凡人の差を描ききる物語。現実世界と理想的な存在の有無。自分とのギャップが生む進化。
3巻でリタとのことやらでいろいろあって深く語られなかった文化祭の準備と本番、そしてクリスマスという大イベント。少しおかしいましろと一緒に自分の持つ才能の無さを再び自覚する空太たちの物語。
- 作者: 鴨志田一,溝口ケージ
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2010/12/10
- メディア: 文庫
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この巻の本題は最後の章で語られていることにつきる。それは空太とましろが互いに抱いている印象の違いについてだ。
空太は、ましろにただ自分とは違った天才としての姿を求めている。明らかに自分とは次元の違う凄さという物があるましろに尊敬の念を抱き惹かれているのだ。それは、彼女の実態が生活能力のない人であるということには全く関係しないことである。一方、ましろは空太へ自分からアプローチをかける。例えば手作り弁当しかりである。だがそれは、空太にとっては自分への愛情の産物に映らず、いらない物だと思えてならないのだ。そして彼女が自分という物などに捕らわれることをいやがる。この違いは4巻内では解消されていない。この後、これが人という物の精神の変化によってどう変わるのか見てみたいところだ。
また、仁が美咲との関係性にあいまいな物を置かず完全に切り捨てているのは、中途半端を嫌う自分への戒めなのだろうか。美咲には同情したくなる。それでも努力するのが美咲という存在だとは僕は思う。
もう一つ思うこと。それは天才である美咲とましろが努力している様子が見られないことだ。これが空太との差異を際立たせる一因になっているような気がする。美咲はほとんどその記述がないし、ましろの場合は努力というよりも作業をしているというような感じを受ける。これについては、僕も正しいか間違っているか曖昧で確信を持って言うことはできないが。
電撃文庫で今一番いい作品だと思う。どうせならば、しっかりと書き込んで10巻ぐらいの巻構成で長く見たいシリーズである。自信を持っておすすめしよう。