研究生活。
まわりが惰性で学部と同じ大学院に決めるのを見て、いらいらするかというとそうでもない。
結局人のことにあれこれ言うのはねという気持ちがあるからである。また、妥協の産物であっても院で真面目にそしてアグレッシブな研究をするならば、それはそれでいいかなという気もある。
人ごとなのだよね。
ただ、相談をされれば真面目に答える。なぜなら、その人は少なくとも真剣に考えているから。
はたして二年のお金を払う価値を本人が見いだせるのか。また、自分でお金をだしていないのならば、お金の供給源に自分はこんなことを研究して、こういう成果を出したんだよと説明できるだけのことをやれると思えるのか。そういうことを考えるべきだ。そして、説明義務もある。その逆の親もしかり。
しかし、これはあくまでも僕自身の考えだ。だから人に共有させるきはない。はじめに書いたとおり、人は人、僕は僕。この基本原理は家族を除いて変わることはない。
全ての人を縛る物は常識であるが、それ以外で縛るのは宗教か。
人生について考えた時間は無駄ではない。
参考記事
大学院・研究者を目指す人へ