イントロダクション
一時期「ゲーム上手いVTuberはゲームだけ別の人がやってる」的な批判を聞くこともあったけど、それができるのがまさにVTuberのいいところだと思うけどな。
— ノラネコP (@VR_Produce_Nora) October 11, 2018
100人がかりで一人のキャラクターを動かして、凄い完璧超人だって実在させることができる。
素晴らしいことだと思うけれど。
ノラネコPが言っているのは,たぶん猫宮ひなたちゃんかかんなちゃんのことだと思う.両者ともゲームが上手くてかわくて人気がでた(後者は議論があるが) という共通点がある.
魂が複数あるとこのように簡単にある分野においてとても上手いVTuberをプロデュースすることができる.それ自体は一つのアイデアとして面白い.絵が上手くてトーク力があって,ゲームもプロレベルで歌も上手くほかにも色々最強なところがあったら注目されそうだ.
ただ,魂が複数あると問題がおきやすいと考える.それはまとめるとVTuberが生きていてほんものであるかどうかという根本的な問題に関わってくる.
表面的なところ
生放送でトーク担当の方と話しているときに,他の分野の質問をされたら困る.ゲームの話をされて,どういう風にしたら上手くなれますか?と質問されたときに適切な返事ができるだろうか.また生配信で上手いゲームプレイを見せるのは技術的に難しいし,上手く合成できたとしてもタイミングなどで違和感をなしにするのは難しい.
同様に担当同士で情報が共有される必要があり,例えば誰が何を話したのかという情報は重要だ.
本質的なところ
表面的なところで書いたような問題が露呈したとき,より根本的なVTuberが生きているかどうかの問題になってくる.
VTuberが他のキャラクターと一線を画しているのが,生きていると言うことである.視聴者が生を見いだすためには,視聴者と相互にコミュニケーションをすることでVTuberの情報を共有することが一番簡単だ.自分の過去について話すのがてっとりばやい.そしてその情報は一枚岩であるべきだが,複数の魂を持っている場合その情報がきれいに結合されることは不可能に近い.ゲームをプレイするだけの魂であってもそのプレイをするためには,それぞれ過去がある.それをトーク担当の魂だけでは表現をしきることはできない.
私はVTuberは不完全であるから親しみを覚えると思っている.歌が上手いけれどずぼらだったり,スポーツが得意だけれど,おっちょこちょいなど,それは創作物においても当たり前のように使われる技法だ.完璧超人よりはどこか欠点があった方が好まれる.そして不完全なところが成長していく過程も重要である.
まとめ
魂を複数持つ場合,それによって制限が生まれがちだ.動画をメインにする必要がでてくるし,生放送では他の分野の深い知識に触れないなどお約束事項が生まれてくる.
これらの問題を解決して最強のVTuberを作るためにはいっそうのこと複数の魂を持つことを宣言しておいた方が良いのではないだろうか.VTuberにもいろいろな生物がいるように,魂が複数あってもよい.脳が複数ある悪魔的なモンスターを想像してほしい.もっときれいな例えとしては多重人格のように.魂A,魂Bがあるとして何か聞かれたらBはそう言ってるとAが言ってもいいわけである.今は魂Bは眠っていると言うこともできる.
VTuberにおいては,たった一つの生きている本物が存在する.上手くいかなかったら魂を気軽に取り替えるわけにはいかない.例えばサムネなどの姿は,キャラクターの絵ではなくて写真と表現されることもそれを象徴している.
MMDのように,Aさんのところのキズナアイといったことはない.
本物で生きているかどうかが最も重要である.
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