物語の体感スケールについて

面白い物語を読んでいるとき,その物語に没頭しているにもかかわらず,心の片隅で思っていること.それは後どれくらい続りがあるのだろうかということである.

ライトノベルの場合,その答えは巻数であり,一冊しか出ていない場合は残りのページ数である.ゲームの場合も,総プレイ時間がだいたい今は提示されていることが多いので,目安としてはわかる.

物語を楽しめる時間を長くするためには,どうすればいいのだろうか.一つはゲームみたいに,戦闘や謎解き,探索等のミッションを入れるというものである.ポケモンなんてその典型例で,ほとんど,ルーティーンワークのようなポチポチ戦闘である.単純ではあるが,スポーツにおける対人戦でやっていることはランダム性があるものの概ね変わらないのにもかかわらず,楽しいないし飽きないというのと同様の事例であるように思える.

ある目的のためには,努力を惜しまないあるいは単純動作をするというのは非常に面白いが,それは脳の中の回路がそうプログラミングされているに過ぎない.なのでその意味を深く考える必要はないと考える.

戦闘を挟まない場合の楽しめる時間を増やす他の方法として,物語を複雑にするというものがある.伏線をはりまくる場合では,その伏線を解き明かすために何度もくりかえし読み返させるように仕向けるし,理解するためにゆっくり読むようになる.同様に2つの出来事を同時に起こす,それこそ時系列にならうなどがある.アニメなどは,週一でしか放送されず,その間の期間は思い出し,あるいは考察期間である.また,クールが終わってからも考察が続く場合がある.

短編小説とか物理的に薄い本の場合,読んだ後続きがないもやもや感が残るのであまりその形式が好きではないが,もしかしたら絵を鑑賞するのと同等なのかもしれない.絵は一枚で完結しているが,なぜか多くの人を引き付け,時として一人の人を永遠に魅了し続ける.

ブコメを長く続けるためには,小さなトピックを延々と入れるというものがある.しかしながら,だんだん飽きてくるのが現状だ.やはりラブコメで長く続けるためにはそれに見合ったテーマが必要になる.困難な出来事に抗ったり,非常に複雑な問題を解決するようなものである.フェルマーの最終定理に200P以上のページが必要で,その中には無数の先人の研究成果が組み込まれているのと同様である.