阿良々木暦と忍野忍の2種類の関係性 傾物語を読んで

傾物語 (講談社BOX)

傾物語 (講談社BOX)

傾物語まで読んで、分かった阿良々木暦と忍野忍の間にある関係性について簡単にまとめてみよう。

まず、暦と忍の間にはつながりがある。これは事実である。例えば、暦に何かのダメージが加われば、そのダメージは忍にも来ることになる。作中で暦に忍がチョークスリーパーをかけていたシーンでは、忍本人も首を絞められる苦しみを感じていた。
だが、偽物語下で言われているようにこの関係性は忍から暦への一方的な物であり忍がダメージを負っても暦へそのダメージが伝わるわけではない。これが、忍を見捨てれば暦は人間に戻れ救われる理由だと僕は思っていた。

だが、傾物語で分かったことだが忍の場合も同じように暦が死ぬことで完全無欠のキスショット戻ることができるらしい。これは矛楯ではないか。暦が死んだとして、忍の命が脅かされない道理があるだろうか、いやない。暦が死んだとしたら忍もまた死を迎えるはずである。
このような謎を僕は傾物語の中で見つけた。
もしかすると、痛みを感じるだけであってそのダメージに耐えれば忍は本来の力を取り戻すのかもしれない。

別の視点から見てみよう。暦と忍はともに吸血鬼の血と人間の血を持っている。つまり言うならば混血である。人でもなく、吸血鬼でもないどっちつかずの存在それが彼らなのである。そのような二人は前述したように痛み(ダメージ)というリンクを持っている。暦から忍への一方的なリンクだが。しかし、傾物語を読む限り具体的な結論づけこそされていないが、そのリンクは痛みにとどまらず、暦から忍へと心の中で考えている事までが伝わるらしい。いかがわしい妄想すら自重せざるおえないお気の毒な暦君であった。

さて、リンクにより伝わる物は痛み(ダメージ)、そして考えている事だと例を挙げたが傾物語ではもう一つ、心というようなものが登場している。これは、忍の話す内容がが暦さんばりに変態的なものになってきているのは暦の心が影響しているのではないかと言う物である。以心伝心とも言える関係性が互いに影響し合っているのではないかということだ。さらに暦の無口クールキャラが壊れたのは忍のせいではせいかという推測が作中に暦の口から語られている。

けど、忍の人格が暦のせいであんな風に変化としたとは僕は思えないんだけどな。仮にもクールを気取っていた暦があんな考えを内に秘めていたというのはないような気がする。ということでやはり暦の推測通り、暦は忍から影響を受けてあんな風になり、忍の傾物語でのものいいは元からの物だと僕は思っている。

ここで面白いことはどうやら痛みのリンクは暦から忍へと言う一方的なものではあるけれど、心などは互いに影響し合う物であると言うことである。相互的なものであるのだ。つまり、暦と忍の間には一方的な物と相互的な物の二つが存在するのだということである。
まあ、矛楯のない物語なんて存在しないんだけどね。作品の根幹に関わる物ではない限り、とりたててうるさく言う必要はない。この記事はあくまでも関係性を整理する物に過ぎないのだから。