ギリシア以外でも直接民主主義は行われていた。代表的なものとしては古代ギリシアと同じ頃の古代都市ローマ、そして1100年頃のイタリアがあげられる。
ローマではリパブリックという民主的なシステムがあった。それに参加できるのは始めはパトリキと呼ばれる貴族階級だけであったが長期的な闘争の結果下層民であるプレラスと呼ばれる平民たちも参加資格を得た。だがアテナイと同様に参政権は男に限定されていた。
共和制ローマが拡大するに連れて問題がおきた。それは共和制ローマの拡大である。拡大されたローマの領土によって市民権=政治への参加資格を獲得するひとがローマから遠く離れた地域で出るようになった。そのためローマまで行くことができないひとが出てきた。民会に参加できるひとは理論的にローマ付近の住民に限られていた。
同じ国民でも格差が生まれるようになり不満を持つひとが増えるようになったのである。それでも代表制を取り入れることはなかった。
最後は民主制は皇帝カエサルによって完全に消滅した。
次にイタリアの例だ。ローマで直接民主主義が消滅してから1000年後の西暦1100年頃イタリアの小都市で復活した。
古代アテナイと同じく始めは貴族だけが参政権を持っていたが多数派の下層民にも認められた。
この共和制の政治は2世紀以上に渡って栄えた。そして文化的にも発達しルネサンスがおこった。
だがどんなに栄えてもいつかは終わりを迎えるものである。1300年代半ば以降経済の停滞や国民国家と呼ばれる巨大な国家による圧力によって都市国家は国家の土台にされ政府の一部分にすぎなくなった。