ライトノベルと文学性の関係について

作者「ラノベにだって文学性は必要ですよ」 編集「でも、僕はそれがよけいだと思うんだ」 作者「はあ…」 - 本読みのスキャット!

この記事では、作者が自分の書くライトノベルに文学性を入れたいと思っても、編集に反対されるという例え話が描かれている。読者はそんなものを求めていない、彼らは女の子との楽しい学園生活やら煩悩の日々を求めている。ニーズのない物を書いても売れないだけだし、それは出版社にとっても作家にとってもプラスにはならないのでやめましょう。要約するとこのような感じになるのではないだろうか。


文学性という物が何を指すかはひとそれぞれ解釈があろうが、仮にいきすぎたエロ、グロ、昼ドラにありがちな愛憎劇、シリアス、哲学、だと仮定したとする。しかし、これらを縫合した作品という物はライトノベルという分野にも存在するのは事実だ。そして、それらを主軸として好んで書いた結果、それが持ち味となった作家もいる。


つまり、文学性が入ったライトノベルは存在するのだけれど、それは決してメジャーな物ではなくむしろマイナーな物だというのが結論だろう。あくまでも少数派だということだ。


ではなぜ、それらがマイナーな物に留まっているのかとすればやはり需要が少ないからだと思う。「苦役列車」で芥川賞をとった西村賢太の作品は賞を取る以前では読む人が少なかったように、好みが激しい作品では読者層が限られる。


今、ライトノベルは恐ろしいほど売れている。市場規模も10年前では信じられないほど拡大している。その売れた理由こそが、文学性を持ち込まないことだったのかもしれない。非実在の世界で現実からの離脱を追求したとも言い換えられる。
つまり読者を増やすために彼らからの欲求を満たす作品を作り続けたことで売れるようになったということだ。

仮にネタ切れになったとしても作品があふれ飽和状態になるかどうかは分からない。おそらく読者からの求める物がこれから変わるかどうかがライトノベルの未来に影響することになるのかもしれない。



補足コメント
文学性が高いと読みづらいかというのは一概には言えない。高度に文学性が高い作品でも読者にわかりやすく書こうとしている作家はいるからだ。また、本文で言ったように文学性とはなにかというのはひとまとめにはできない。だが、さくっと読みやすいのが長所であるライトノベルなのだから文学性を入れるにしても、さくっと読みやすく書く努力を作家は求められるのは間違いない。

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