分かりやすいノートなんて

いつも思うんだけど,どういうのが分かりやすいノートなのか分からない.

字がきれいなのか,要点がまとまっているのか,カラーペンで分けられているのかなどが評価基準なのだろうか.アニメとかでなになにちゃんノート分かりやすいとか言うシーンがあるが,なんか共感しづらい.

自分はノートを見てもさっぱり分からないという人間であり,あんなものは覚えるために手を動かして板書を転写しているだけと考えている.この場合において,授業を聞くことは必ずしも重要ではない.なぜかというと,ノートに写すという過程において,ただ書き写すだけのマシーンとなってしまうことがよくあるからである.

書き写すだけとはいえ,考えながら書かなければ理解するのが難しいのだ.先生の話を聞きながら考えて理解して書き写すというのは,自分の理解のペースを乱すもので非効率的だと思っている.それよりかは,家庭教師みたいに分からないところを聞くみたいな感じの方がありがたい.つまりテキストを見て,考えて書き写して理解し覚える.分からなければ,聞くということだ.

ノートの要点をまとめるというのは,書き写して覚えるという点では有意義だが,どこが要点かはぶっちゃけテキストに線を引いたり書き込んどけばいい.自分のテキストは書き込みだらけだ.

なので,ノートなんて物はまったく重要な物でないし,未熟なアウトラインを自分で作っているようなものだと思う.きれいなノートを信奉し頑張って書くよりかは教科書を理解しながら暗記しておいた方が100倍いい.その過程で,覚えるのに効率の良い見やすいノートを気軽に書くべきだ.

とここまでは高校までの話なんだが,問題は大学だと教科書がないことが多い.あるのはレジュメだけ.さらに板書を書き写しても理解不能なことがたたある.先生の話を板書とレジュメ(後スライド)に加えて自分でテキスト(教科書)を作る必要があるのだ.これは非常に難しい.なので,その能力に長けた人が頼られるわけだ.