好きな事が書ける喜び

このサイトは本家と違って、見ている人が圧倒的に少ないので気ままに書けて多少お気楽に書いている。かといって、本家でも好き勝手書いているので、両者を比較して若干こっちのほうがフリーダムというだけのことである。

こういうふうに文章を書き連ねていくのに必要なスキルはブラインドタッチである。しかし、自分の場合できるのだけれど打ち間違いが多い。そして英語と違って漢字に変換する必要があるので、手間がかかってめんどくさい。よって長文はあまり書きたくない。だから、長文の場合はよほど気が立っているか、乗り気な時である。

こんな感じで書いているとつい余計なことを書きそうになって困る。基本的に誰かプライベートな人のことは書かないようにしている。それはTwitterでも同じ。リアルの誰かについて触れると、絶対に問題が起きる。あくまでもネット上で活動している仮想的な人のサイトや言動に触れるにとどまる。そしてその時も余程のことがない限り、非難するようなことは書いていない。あくまでも期待を込めて書いている。

しかし、結局人がどうとるかなんていうのは自分では全ては分からない。よく言われた人の気持ちになって考えろといういじめに対する文言句みたいな言葉があるが、そう言われて自分の罪深さに気づく人もいれば気づかない人もいる。なので、行動している本人では分からない事が多いのだ。
だからこそ、外部の人の目で監視したり、第三者に裁いてもらうという制度があるわけである。

誰か不快に思う人がいらっしゃったらすいませんと謝らせてもらいたい。
当該記事は削除し、謝罪をします。

言ってもらわないと気づけないのが難点である。なのに、当事者ではなくて外野が騒ぎ立てて、本人が迷惑することは問題を更に大きくする。善意の押し付けはいらない。