VTuberの魂や中の人はもはや存在しない

古典的なVTuberについての解釈として,VTuberの身体があってそれを演ずる演者として魂をやる人が存在するというものだった.

しかし私は,魂はもはや存在しないと感じる.正確に言うと,身体に魂が入った時点で,魂という言葉の必要性は消失する.

なぜならバーチャル世界と現実世界での両方で同一視されることになるからだ.VTuber同士が配信外で交流するときもVTuberとしての名前で呼び合う.現場で名前を呼ばれるときも,A役のBさんではなくてA役のAさんであるわけだ.確かに姿形は違うかもしれないけれど,それは些細なことに過ぎない.だから,現実世界でAの魂をやっている方に会ったみたいな形で言及をする必要性もない.

演者とキャラクターを切り離して考える必要性があったのは,黎明期は視聴者や関係者の中でどう扱えばいいのかわからなかったということと一部の運営でIPを活用していく上で演者とキャラクターを同一視されると運用の邪魔になるという考えがあったように思える.

つまり現実世界だろうがバーチャル世界であろうが,どちらも同じVTuberという存在であることに変わりはないということである.ただし,同一であるとはいえ,両者の間に様々な違いがあることは言うまでもない.姿形の問題だけではなくて,性格や交友関係などにも及ぶ.