誰でも人を殺す可能性がある

長崎で女子高校生が友人の女子高校生を殺害し,頭と左手首を切断したという事件があった.

その動機について話題になっている.なぜ殺したのかという点が争点になるだろう.

人を殺すことはセンセーショナルなことである.しかし,誰しも人を殺す可能性はあると考える.例えば普通の状態では,ああ殺したいなあとは思わないだろう.しかし,精神的に追い詰められたときならば,もういっそう殺してしまえばいいと考えることはありえるだろう.

人を殺すというのが他者の命を奪うことであるからイメージしづらいのかもしれないが,もしも精神的に追い詰められれば人は命を奪うことがよくある.そう自殺だ.自分の命をさくっと殺す.これも同じくらいセンセーショナルのことであるが,日常的に行われている.あなたの周りの駅でも.

対象が自分から他人へと変わっただけだ.ずいぶん勝手が違うのではというかもしれないが,心中事件では同意なき自分の子供を殺すなんてことはよくあることだし,その延長線上に過ぎない.

そう幸運なだけなのだ.誰かをまだ殺していない人は.

誰でも人を殺す可能性はある.しかし,あなたは人を殺すべきではない.