昨日、6月2日鳩山首相が辞意を発表しました。就任直後はついに自民党が陥落し民主党が新たに政権をとったことで、より良い日本の政治体制への転換が実現されるかもしれないという期待を一般の人々は、みな持っていました。
しかし、時がたつにつれて決断力と一本のまっすぐな考えを保持していなために考えがブレまくりこのような結果になってしまいました。
今回の結果を受けて人々が思うことはこうであると思います。東大を優秀な成績で出て、スタンフォードで学位をとった人物でも政治は変えられずに失敗してしまった。いったい、誰に政治をまかせればいいのか、もしかしたら専門家ならもっともうまくやってくれるかもしれないと。
その質問に私はこう答えます。
専門家にまかせることは危険であると。
なぜなら、従属的な決定を政治家に任せることと、主要な決定について最終的な統制手段を専門家に引き渡すことは同じではないからです。
古来から言われているように政治家はすぐ人々の求めに応じるべきであるが人々の上に立つべきではありません。たしかに専門家は私達よりも優れた知識を持っているでしょう。どんな病気が疑われるかどんな治療をするのが良い方法かを教えてくれます。
しかし医者がこれこれこういう治療をした方がいいといってきても最終的に自分の体に処すべき治療法をきめるのは私達自身なのです。
同じように政治家が専門家に助言を求めることと政治の場のおいて専門家が私達に関わる法律や政策を決める権利を持つことは全く別のことなのです。
つまり、最終的な政治に対する決定権を持つのは私達自身であることが重要なことであるということが言えるのです。
また、政治は科学とは違います。政策を決めるときには常に倫理的な判断が求められます。この倫理的判断は科学的な判断とは異なるものです。
他の理由をあげると今の科学には限界があるということがいえます。例えば国の国防費はいくらにするべきか、子どもたちの利益をまもるにはどうすればよいかなどは確実な答えをだせる専門家はこの地球上の存在しないと私は思います。
一国の政治をうまく機能させるためには単なる知識だけではなく、それ以上のものが必要です。
上に立つものは常に国民のことを思って行動し、公共善の実現に邁進すること。自らの利益に目をとらわれてはなりません。
どんなに優れた人物であっても無制限の権限を与えられたおりには、その権力の所有者の心を腐敗させるのです。