VTuberの魂をやっていたひとがVTuberをやめて,個人で配信をはじめる,再開するケースはよくある,また,やっている人が平行して個人の活動をやったりする例も普通だ。
ここ最近,そういう人たちをチャンネル登録してみていたりしたんだけれど,やっぱりVTuberをやっていた,やっているときほど好きになれない。
なんでだろうと色々考えていた。
たぶん,こんかんじかなと思う。
まずVTuberの魂をやっている人とVTuber自身は同一のものなんだとして言われるようになってきたけれども,多分それは,半分正解で半分間違いである。
VTuberをやっていた人がやめるときに言っていたが,その人が持っていたある一部をVTuberに投影していたと。どちらかというとVTuberとしての存在はその人の一部,半身であるんじゃないだろうか。
そして残りの半分は,外的要素によってつくられている。視聴者や事務所からの見方とか,容姿とか設定とか色々。
人によっては,辞める理由が自分とかけ離れてしまったためという例もある。
冒頭の話に戻るが,私が好きだったのはその人がやっていた,やっているVTuberであって,その人のみではなかったんだろう。全部を合わせて好きだった。そしてそれはやめた今はもう記憶と記録の中にしかない。
ありがとう。